目と心、どちらが引かれる?

先日ある本を購入し読んでいたところ、「目が引かれることより心が引かれること」と云う事が書いてありました。


今は大きく変わってきていますが、就職の時などはこれがとても大切かな?と思います。ってもまともに就職活動をしていまい僕ですが。


いつだったかは忘れましたが、読売新聞の夕刊の「編集手帳」だったと思いますが、このことに触れている記事があったのを今でも憶えています。(読売新聞の夕刊を見ていたのは独身時代の実家でことなので、15年前かもしれません)


時期的には就職活動の時なのだと思いますが、「東京ヘリコプター」という会社について書いてありました。
文章の出だしは「大学は出たけれど」という戦後当時の就職難を描いた映画について書いてあり、現代の就職活動をしている学生の意識について続けていました。「先々の安定のために大企業を選択する」という学生が多くいるという調査結果を紹介し、「大学は出たけれど」公開当時の志はでかく、しかし設立させれたばかりの企業のために学生がなかなか見向きもしてくれなかったという「東京ヘリコプター」という会社の話しに移り、最後にはこの「東京ヘリコプター」は後の全日空であるということで話しは終わっています。


我々は常に選択をしているといわれています。意識下においても、無意識下においてもです。その選択の時に今目に見えることだけを選択の第一に置く人間が多いですよね。会社で言えば規模や給料やボーナスや労働時間や・・・。
それも選択の中に入れるのは決して間違いではないですが、本来は心が引かれることに目を向けなくてはいけないのだと思います。


現代はとかく拝金主義が根付いているようです。これだけのお金を出すのだから、それだけの価値がある者がその交換時に出てこないと文句を言う。ディズニーランドが人気が衰えないのは行った時の感激や嬉しさや感動だけではなくて、その時のことが良い思い出となるからで、入場料はその日の自分の感情を喜ばせるだけに払われているのではなく、何年先の自分に思い出として帰ってくるためのものでもあるのではないかと思います。


まあ、人それぞれの感じ方や考え方があるので、何が良いかは本人がしっかりした信念を持って生きているかだけだと思いますけど。でも一番気をつけなくてはいけないのは自分や自分の周りだけが良くなるだけなのに、言葉では平気に多くの人の幸せだとか言っている人たちですね。信念という言葉は行動と同義語であったらしいです。


今、タヤマ学校がやっているいることは本当に凄いことだと実感します。何せ校長が実践している人ですから。
信念と行動が世界の20に集約されるという言語において、同義語であったらしいです。文明の発達と共にこれらはそれぞれの言葉に分かれたそうです。この意味するするところは深いですね。
実践とは信念と行動を併せ持っていなくては本来ありえないのです。


以前北海道のある社長さんから言われました。
「矢崎君、お金とうんこは同じなんだよ。料理の材料を買う、作る、食べる、うんこする。物もそう。最後にごみになる。でもそれらは全てお金を出して買っているでしょ。だから、同じなの。つまりお金を追う、大切にしているという人はうんこやごみを追っていたり、大切にしているのと同じなの。どうせ大切にするのなら、うんこやごみなるまでプロセスで、多くの人を幸せにしていけるように使っていきたいね。」


あまりに極端な(汗)と思うところもありましたが、社長の言うとおりだなと思います。


でも、お金のない世界は想像も出来ないですね(笑)