続き・・・

昨日は中途半端で終わらせてしまいましたので、今日は完結させたいと思います。

昨日までの間に、気づいた大きなことは「捨てる」と云う事です。


五誓の言葉にも「自我を捨て、無になれ・・・・・・」とありますが、この「捨てる」と云う事が僕の中の変な力を取り除いてくれました。


まずは、僕がずーと胸に抱き、思い続け、そうありたいと思っていたいた「自分も経営者として、マネージメントとしていきたい」簡単にいうと「自分の会社を持つ」ということを考えていくと、何故その様に思っていたのか!いつの時点で決めたのか、そして何よりも自分の本心からその様に思って、決めたことなのか!という事を、自分の34年の人生をさかのぼりながら、考えていきました。そして、出た答えは・・・・・・「自分の本心ではないのかも知れない!」と云う事です。父親が経営者をしていましたし、父方、母方両方の祖父も経営者をしていました。そんな環境の中で、自分がそうありたいと思っていただけで、目的があって決めたことではなさそうだな!ということに行き着いたのです。今まで、「自分の会社を持つには?」今何が必要か?と云う事を考えなくてはいけないのだ!と思いながら生きてきました。そして、そうなる覚悟が本当に出来ていないから駄目なのだ!といつも自己批判をしてきました。でも、根本的なことが抜けていたのですね。こうして勝手に一人苦しくなったり、イライラしたりしてきました。要するに「」に自分を知らずにおいてきたのです。だから、まずはこの「夢」と思っていたものを一旦は自分の中のゴミ箱に「捨て」ました。


こうして、今自分が正しい、正しくないとか、こうあるべきだという風に考えていることを一つ一つ考えていくと、何故自分がそう考えているのかと云う根拠は結構ないのです。あるとしたら、子供の頃からの体験に基づいているくらいです。だから、自分が今感じる「好き」「嫌い」「綺麗」「汚い」と云う事もその頃の影響が大きいなと思うのです。だから、その部分も「捨て」ました。そして、純粋に今、どう感じているのかを注意深く、感じるようにしています。


そこに「木」があるのは、「木」の存在があり、「木」があると認識するのではなく、自分が「木」があると認識するから、そこに「木」が存在しているんです。と、云う事は「こうなりたい!」と願ったり、目標設定をするのではなく(これが自分の「苦」を産んでいると思うのです)既に、そうなっている自分を、自分自身が認識することが、そうなっている自分を存在させているのだな!といろいろな事物を「捨て」てみて、感じています。(ここは深い?ので分かり易くここで、表現できません)


物凄く分かりづらいことですので、ここの文面だけで理解はしていただけないとは思いますが、直接僕に聞きたいという方には話しますし、また、僕の行動を見てもらうことで、分かってもらえるようにしていきますので、乞うご期待!


最後に、「人は人を喜ばして、初めて人の間に存在し、人間になる」と云う事を忘れずに頑張ります!